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森を守るために私たちにできることは?報告Ⅱ

2013.06.27(10:59) 93

多摩川源流からのメッセージ~源流に学び 源流に生きる~


さてそんな大切な水源林の村、小菅村ですが、丹波山村のように東京から甲府へ抜ける国道があるわけでもなく、どこへ行くにも鶴峠、松姫峠、今川峠などを越さなければならない、いわばどん詰まりの村です。人口も減っている。そこで、小菅村は地域を再生させるために源流に注目し源流にこだわった町づくりをするため「多摩川源流研究所」を設立しようと考えました。

昭和62~3年から「多摩川源流祭り」を行い1万人くらいの人を集めています。さらに源流に磨きをかけようということで2000年に「第3次総合計画」を策定し、その中で「多摩川源流研究所」をつくろうということになりました。

その年に、私は「源流絵図小菅版」をつくるために調査に入りました。
すでに「塩山・丹波山版」を作っていました。どうして絵図をつくろうと思ったかといいますと、源流地域には様々な文化が残されています。これには5年間かけて地元のお年寄りからお話を聴き作り上げたものです。

竜ばみ出会い滝竜喰出会い滝

「竜喰谷(りゅうばみだに)」というのがありますが、3時間ここを歩いている間に13の滝が連続します。最初が「竜喰出会い滝(りゅうばみであいたき)」で、竜喰谷が一ノ瀬川に出会う場所です。躍動感溢れる滝の流れに息がとまるほどです。

地元の沢の名前、滝の名前、谷の名前が昔からのくらしに根差したものであることがよく分かります。

出会い滝凍結出会い滝凍結

セングの滝セングの滝

「ゴケン滝」というのは1間は約1.8mですから、5間、約10mの落差のある滝です。その上に「千工の滝(せんぐの滝)」がありますが、最初「千苦」の字を当てました。それというのが、5間の滝の上ですから1人では行けない厳しい場所です。滝を回ってその上に出ることを「まく」と言いますが「ゴケンの滝」をまくのに1時間40分、雨が降ると水位が上がるⅤ字谷のつるつるぬるぬるした急斜面をフーフー言いながらやっと上るわけですから「千苦」だと思ったんです。
源流から下流まで材木を流す時は筏を組んで流しますが、狭いところでは筒流しと言って筏を組まずに1本1本流します。岩や石で流れが悪いことろは一旦流れを堰き止め、たまったところで堰を切るとドーッと流れ出す、これを鉄砲出しと言うそうです。また、滝壺のない滝を流す時には樋のような木組み、修羅というものを張ります。急斜面に修羅を張るのも工(たくみ)の技が必要です。
「千工の滝」はこの滝壺のない滝で、そのために材木を流すには千の、たくさんの工が働いたのです。だから「苦」ではなく「工」なんですね。材木を傷つけないために渾身の力で修羅を張った工たちの名を付けた滝なんです。


最初の一滴多摩川最初の一滴

聞き取りを続けると、どれだけ自然の恵みを大事にしたのか、どれだけ愛着があったのか、尊敬があったのかを知り、どんな地図を見ても載っていないそうしたことを残したいと思ったのです。

小菅村がその絵図を欲しいと言いまして、出来上がるとすぐに持っていきました。ところが、これには小菅村がまだ載っていない「至小菅」となっていました。
そこで村長から「小菅版」も作りますよね、と宿題をいただきました。1999年の事です。
小菅版を作るために村に入ったのが2000年の3月12日でした。

多摩川源流研究所の準備会が出来たのが同じ年の9月、そして2001年に設立されたのです。

昔の人は、価値ある木を切らせてもらった、その木を価値あるままに下流に届けたい、そのために苦労を惜しまない、それくらい自然への感謝、愛着、尊敬があった、ということを知って非常に感動しました。
ふつうの地図には全く載っていないことで、全部長老・古老の頭の中にあったことなのです。これは、残さなければいけない、記録しなければいけない、そして子供たちに伝えなければいけないと思ったのです。




つづく
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森を守るために私たちにできることは?報告Ⅰ

2013.06.27(10:08) 92

6月21日

中村文明さんの講演会を行いました。
雨模様だったせいか参加者が少なかったのが残念でしたが、皆さん熱心に聴き入っていました。

お話の概略をお伝えします。

多摩川源流からのメッセージ~源流に学び 源流に生きる~

・東京を流れる多摩川の源流は山梨県にあります。山梨県丹波山村、小菅村を源流とする川を堰き止めて出来たのが奥多摩湖です。

・1590年、徳川家康が江戸へ入り、その後幕府が開かれたことによって江戸の人口は爆発的に増え飲料水の不足が大きな問題になりました。
・そこで多摩川の水を玉川上水によって府内へ引き入れます。多摩川の水は江戸の人たちの飲み水として守られることとなります。
・水を守るためには森が大切な役割を果たします。江戸幕府は源流域の森林を「お止め山」として森林の伐採を禁止、森の保全を図りました。
・明治に入り多摩3郡は神奈川県となり、多摩川流域を一体的に管理士保全する仕組みが崩壊。
・1893年、多摩が東京に移管された。これはコレラの全国的流行などから、流域の水の安全性や水源林の保全を確保するためということが理由の一つです。
・1901年、水源林の荒廃がこのまま進めば国土保全に由々しき大事にになるとの調査から、2代目東京市長 尾崎行雄が「給水百年の計」を唱え、東京都は小菅村、丹波山村、一ノ瀬の森林を買い取り源流域での水源林経営を開始しました。
・現在東京都が管理する水源林は塩山市一ノ瀬高橋、丹波山村、小菅村、奥多摩町の21,635haに及びます。
・しかし都有林は全国に誇れるしっかり管理された森ですが(多摩森林再生で平成11年から毎年5億円つぎ込んでいます)小菅村や丹波山村には私有林が多くあります。それらの森は国産木材価格の低迷などで荒れています。

次回へつづく

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霧の森林

2013.06.03(10:02) 91

5月30日木曜日、梅雨入りの翌日に檜原都民の森へ行ってまりました。

森林セラピー体験バスツアー~森を守るために今私たちにできることは?を報告いたします。

当日は直前キャンセルもあり、現地集合の3名を加えた総勢40人。
集合地の立川は雨だったのですが、西へ行くにつれて雨も上がり・・・と思いきや高度が上がるにつれてまた道が濡れてきて。

10:10分に到着した都民の森は霧に包まれていました。

_森の霧

10:30森林館到着。
案内をお願いした野外利用指導員の浦野さんとこの天候の中のコースを確認し、雨の具合によっては変更することにし、まずは2階の会議室で「檜原都民の森の概要」について学習しました。

_森林館学習

右の方が浦野さんです。都民の森開園以来の職員さんで、森の中の木々や草花の、どれが移植されたものでどれがもとからそこにあったものなのか、分かるのは彼だけだそうです。

さて、それでは出発します。
まず歩くのは大滝の路セラピーロード。路上に檜のウッドチップが敷かれた歩きやすい路。

_セラピー散策

浦野さんのご指導で木々や野鳥の観察をしながらの楽しい路です。

大滝の路の終点は三頭大滝。

_三頭大滝

滝見橋から眺める大滝は霧の中。

_霧のつり橋

滝見のつり橋も霧の中でひっそり。

大滝休憩小屋で武蔵五日市駅そばで調達したおにぎりとこんにゃく寿司のお弁当で昼食。
こんにゃく寿司が意外な美味しさで大評判。

雨も上がっていることから、霧の中ではありますが、もう少し登ってから引き返すことにして出発。
ここから先は少し路が険しくなります。

_コマドリの路

急な山道を登ることしばしで、テラスに到着。
足もとには深い草花、顔を上げると低木の枝と木の葉、そして見上げると雲を突く大木が霧の中に浮かんでいます。
無言の森、たまに聴こえる鳥の声・・・と思ったら浦野さんの口笛だったり・・・を満喫しました。


先日実踏で訪れた日は快晴でかなりの風がふき、森はざわめいてにぎやかでした。
そしてこの日は無言。

どちらの森も、恐ろしいほどに魅力的でした。

武蔵五日市駅から冬季を除きバスが運行されいています。
特別イベントがない時には当日申し出ても案内して下さるそうです。
心身を癒してくれる森林に、ぜひお出かけください。


さて都民の森をあとにして、途中「瀬音の湯」で無料の足湯につかったりして、無事立川へ帰ってまいりました。
詳しい報告はまた後日。





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